時が刻む息子への愛おしさ
息子が亡くなってから半年…嫌で嫌で仕方ないのに時間は進んでいく。
時間が出来る用になって後から思うと少しづつ気にかかる事が出て来ている…
夏服がほとんどなかった事
浴室にあるべきシャンプー、ボディ石鹸がなかった事
洋楽を毎日聞いていたのにCDが1枚もなかった事
食事の後らしき形跡がなかった事
私の手書きカードや父親からの手紙がなかった事
考えれば考える程心が締め付けられる。
想像でしかないものの苦しみ悩みながら死を覚悟して身辺を整理していたのでわ
食事をする気力も眠る気力もお風呂へはいる気力も考える気力もなくしていたのでわ
息子は、何れだけ泣いていたことか余りにも痛々しくて切なくて切なくて可愛そうで…抱き締めてあげたかった。
寄り添って何としても守りたかった。
時は、嫌がおでも進んでしまう…時を戻せるすべはないのか
仕事から帰って「只今」「……」返事は、ない。
それでも「お帰りぐらい言ってよ」
今日は忙しかった母さんぐったりだよ。
一人で語り続けている。
写真と骨壺へ名前を呼んで今日はなにしてた。
パズル何か新しいの始めた…本呼んでたのかな…返事は、全く帰って来る事はない…そんな事解っている。
それでも何時か突然「只今」って帰って来ると母さんは思い続けている。
息子の携帯もロックが解れば帰って来る。
それが私の救いになるか、苦しみが深まるか解らない。
それでも息子の心をほんの痛みを少しでも理解してあげられたなら救ってあげられるならちゃんと現実を受け止めたい。
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