身勝手な恋 17ピース 息子達を置いてきぼり

今日も快晴小春日和は、今日迄らしい。




今日は、私の誕生日苦痛、大嫌い…❗️


去年の今日息子が残酷な状態で苦しんでいるのも知らずメッセージを送信…既読✕


もうこの世界に息子は居なかった。




ボロボロ家で日当たり悪く1日中薄暗い上にネズミにでかいゴキブリ…勘弁して~


それでも文句さえ言わず母さんと一緒に生きて行く生活を選んでくれたのにね。




息子達も自立し社会人になった事で安心感と自分の時間が出来気持ちも生活も少し楽になり肩の荷が軽くなって来た事でもう息子達は、自身で生きて行けると思い込んで もう親が構わなくたってそう思ってしまった事で次男を孤独にしてしまっていたのだと思います。



そんな中次男は、仕事が長続きしなく知らない間に辞めて派遣で仕事をしていた。



私としては、定職に付いて欲しく「遣りたい仕事ちゃんと定職で見つけた方が良いよ。」と何度か言ったものの「あ~」と空返事…何時もの事



そして私も次々と時給が少しでも良い職場へと転職するも求人内容と全く違ったり変態社長…愛人探してる❗️❗️みたいな会社ばかりだった…何で何で的もな会社無いの状態が続いていた。



そんな中私は、気になる人が出来た…一回り以上年下息子達と1歳しか違わない。


それでも唯優しくしてもらえる事だけで良かったのですが、LINEでやり取りしている中でたまたま花火大会の話になり話の流れから自然と一緒に見に行こうと言う事になったのです。



それが切っ掛けで「男として見て欲しい」と言われ付き合うようになり休みは、デートふだんは、電話、LINEと日々楽しく好きになっていた。


1ケ月位して息子達にも紹介して家も良く来るようになっていた。



今思うと孤独と寂しい中優しくされた事で引かれたのだろうと思う。



何ヵ月後かに息子達も含め自然と一緒に暮らす用になっていた。



始の頃は息子達にも話しかけ気を使って来れて要るようで会話もあり友達として家族としても楽しくなると信じていたのですが…


月日が立つにつれて彼は、変わっていった。



息子達共殆んど話し掛けなくなり自分の都合ばかり私に押し付けるようになって来た。


定時に帰ってたのが知合が来たから遅くなる。



仕事で疲れて早く寝たいのにお風呂に入るのを待つ用に強制する。


仕事で遅く帰った私に○○が食べたい作って…え~❗️


今から買い物して作る❗️❗️2時間位掛かる夜中にご飯…無理無理「無理だよ疲れてる上に夜中になるよ。」「手伝ってくれるの」「嫌着替えたりするから…」



何なんだ❗️まるで子供そのもの…成長しきれてないのか


先にお風呂へ入ると駄々っ子の用に機嫌が悪怒る。


挙句の果て話したい事をお風呂で話そうとすると外に聞こえるから「うるさい」と怒る。



もう何も話したく無くなって来て話すのもしたくなくなって私は、我慢我慢で心に溜める用になっていった。


「食べたいものある」と聞かれれると「彼処の○○が食べたい。」と言うと「知合が行く事があるからそこへは行きたくない」と言う


私を知合に会わせたくないのか…何故



何時もその繰り返しでもう私から食べたい物が有っても「何でも良い」としか言わなくなった。


そして何と彼はブラコンだったお兄さんから連絡があると何をさておいてお兄さんを優先私と出掛けていても外食の途中でも私を家へ送って「兄貴に呼ばれたから…」はあ~❗️


マック買って一緒に食べる予定だったのが家へ送って私の分だけ渡され「兄貴と食べるから…」何じゃ❗️ムカ付いた私も「いらない1人で…食べたくないから持って行って良いよ…いらないから」一気に食が失せた。


結局食べたくなく捨てた。



休み出掛けるのも彼に付き合わされて振り回される。


本心は、家でゆっくり過ごして息子達と一緒に時間を過ごし食事も一緒にして家族で食卓を囲みた色々な話をして家族団欒を夢みていたのが全て崩れて行くのが解った。



心の中に息子と時間を過ごせない会話がどんどん遠退いて行く。


息子達が後廻し後廻しになって行く母としての後ろめたさで心が乱れて苦しい。



心の中で何か違う…家族じゃない彼は息子達と家族になる気が無いのか❗️



そんな生活がずるずる続いて長男は、嫌気が差したのだと思う。


「母さん独り暮らしするから」「解った、住所と連絡先だけは教えといてね。」と独り暮らしをさせた。


次男との3人生活がはじまったが、彼は次男のする事が気に入らないのか嫌いなのか…音楽を聞いていたりゲームをしている音がボロ屋の為どうしても響くのは、仕方ない事なのに❗️




仕事から帰って来ると「音がうるさい、響いて頭が痛い、言ってこいよ❗️」私に言う


何故自分で言いたいなら言わないのか…もううるさい「自分で言えば良いじゃない…何で私に言うの」と「お前の子供だろう❗️」はあ~


挙句の果て仕事から帰った次男の事を「○○臭いから言っとけよ」と次男の事を否定するばかり



彼とは家族になれない始めだけ優しくみせていただけ…不信感が段々強くなって行くばかりだった。


「私が命掛けで生んだ子供なのに、何でそんな事ばっかり言うの…」



彼自身の家族の事を指摘すると勝手にキレて怒る。


整理整頓が出来ず私が片付け用とすると「俺の物は、触るな」「ホコリまみれで凄く汚いのに…」「全部大切な物だからそのままにしといて…」


ホコリまみれで本当に汚いのに…汚い❗️



私は、彼を買い被っていたのかも知れない。


その頃仕事面でも担当替えがあり物凄く忙しく精神的にも肉体的にも負担になっていた。


婦人科で更年期障害だと言われたが全く楽にならない。


段々動悸が酷くなり身体全体に伝わる動悸食欲不振胸が締め付けられる。


おかしい❗️❗️


彼に話すと、「同じだよ。皆そうだよ」と流された。



そして会社で何度か仕事担当を改善して欲しいから「皆で話し合いをしたい。」全く取り合ってもらえずスルーと嫌がらせに出て来た。


今で言うパワハラなのだけど…



何だ、こいつこんなに苦しいって言ってるのに…もう駄目だわと思った。



心療内科へ行く予約をしたが3ケ月待ち…身体が持たない辛い苦しい。


動悸で死ぬんじゃないかと思いながらやっと診断してもらった結果…鬱だと言われた。



借家の更新時もう家寿命だから良い所あったら引っ越して…と言われていたので



彼に、「引っ越さないと行けないから一緒に不動産屋時間作って廻って…」と行ったが全く行動してくれる気がないようです。



彼は、「お兄さん達とご飯食べるから遅くなる…❗️」又か…帰りが遅いので何度か連絡したが全く返信がない。



遅く帰って来たが、「お兄さんお兄さんて…私は、後まわし」…喧嘩になった。


たわいない喧嘩で私も耐えられなくて今迄我慢に我慢が爆発した。



彼は、会社へ留まる事が多くなり着替えだけ取りに来るようになり家からどんどん足が遠退いて行った。



それでも何時か帰って来るかと思っていたけれど私自身も別れた方が良いと思いつつ生活面や鬱と診断された事で不安で心が決めかねていた。



でも迷っていても仕方ない…彼は、会社で生活するからと着替えを積めて出て行った。


私は、何も言わず「汚い私物の物も綺麗にして行ってよね」と行ったが汚いゴミ溜め状態の所はまんまだった。



私は、この10年近く何の為に彼と居たのか子供達との過ごせなかった時間を返して欲しい。


私の10年を返して欲しいと思った。



私は、自身の間違った勘違い恋のせいで次男との時間を失って犠牲にしてしまっていた。


例え独立した大人であっても寂しくて我慢させてしまったのでわないかと思います。



本当なら女ではなく母性を大切にしなければならなかったのに…駄目母



もうこの頃から次男の心が壊れ掛けていたのに私は、自分の事ばかりで気付かなかったのではないかと思ってしまう。



時間を戻したい。


来世は母さんに貴方に寄り添わせて24時間母さんに頂戴…本当に寂しかったね。


ごめんね。

社会人1年生 16ピース 子離れ出来ないみたい

今日は、快晴とは言えない薄曇り時々日差しがほんのり差して来る。

次男が初出勤社会人1年生…私には未だ子供でしかない。

心配ばかりで不安で一杯


土、日祝日休みで、私と同じなので親子の時間は作れる。


勤務時間も確認して18時~19時頃には家に帰って来るだろうと予測


心の中で仕事合ってると良いけど…

職場良い人ばかりだと良いけど…と気にしながら送り出した。


朝食を済まし「行ってきます。」息子は、学生の時と同じく電車通勤…新調の作業服をショルダーに積めお洒落な普段着で出勤ニヤリ頑張れ~新入社員…心の中で応援してた。


何時迄も後ろ姿が玄関から見えなくなる大丈夫かな~

を付けてちゃんと帰っておいでよ。と心の中で呟いている。


何だか良く解らないが手が離れて行く息子にもの寂しさと成長してる息子に頼もしさを感じていた。


長男の時も心配で心配で仕方なかったけど、ちゃんと前もって何時頃帰るから…


今日は、何があるから遅くなる、遅番だからと話して来れるので心配は、殆どなかった。


次男は、わたしの方から聞かないと話して来れない子でしたが今の所何時もと同じ時間に帰って来ていたので安心していました。


それからは「行ってきます。」「行ってらっしゃい…気を付けてね。」


ちゃんと定時で帰って来るので少しづつ慣れて来ていた。


日が暮れ出すと時計が気になって何度もみては、後1時間~❗️あ~もうそろそろ帰って来るかなと思う日々になっていました。



毎日持ち帰る汚れた作業着毎日洗濯しては、真っ黒くなった水

心の中で今日も頑張ったんだね。

頑張れ~❗️そう思いながらも何だか汚れた洗濯機の水を見つめて微笑んでいる私がいる。


その作業着を毎日干すのも楽しみになっていた。


ごく普通の何処の家庭でも見られる光景で、何処の家庭でも過ぎて行く普通の家事の時間私もそう思って1日1日を過ごして来た。


そんな中1.2週間位して何時もの時間に次男が帰って来ない。


たまたま少し遅くなってるのかもと思ったのですが、それでも未だ帰って来ない。


残業で遅くなってるのかも…


そう思いながらも時間が過ぎて行くのに不安になり何度も時計を見ながら…時計の針は、進んで行くのと同時に不安がどんどん大きくなって心配が大きくなって行く。


                        

何度も何度もメールをしても電話をしても繋がらない返信もない。


19時が過ぎ20時が過ぎ心配で心配で心が締め付けられて胃が痛くなって来た。


ひょっとしたら歓迎会でもしてくれてるのかな…と思ったり…事故にあったりしてないようね~❗️


事故警察に聞けば解るから聞いてみようか…


職場に掛けてみた方が良いかな…その思いが頭の中でぐるぐる巡ってもう耐えられなくなっていました。


心で不安で一杯になりながらもう少し待ってみよう。


もう少し待ってみよう…そう思いながらももう不安と心配で耐えられなくなり


警察へ事故の報告がなかったか確認しました。


「今日事故の報告は、入っていません。」との事で少し安心しましたが、連絡は、依然としてない。


最終的に10時頃迄我慢に我慢をして職場に耐えられなくって電話…職場の人が電話に出て来れた。「すいません。」「○○の母ですが、息子未だ仕事でしょうか。」職場の人「すいません。」「歓迎会で遅く迄引き留めて…」「今、返しますので…」心の中であ~良かった。

心配と不安で動悸がしてたのが、一瞬にして引いた。


安堵したのと同時に胃の痛みだけが強くなった。


「電話して申し訳ありません。」「連絡何度しても返事なくて…何時もならとっくに帰ってるのじかんなのに、心配になって」「本人も何も言ってなかったので」「もしかしたら歓迎会かも…とは、思ったのですが」


ホッとしたら何だか凄く疲れた。


漸くして苦笑いして申し訳なさそうな顔をして息子が「ただいま」帰って来た。


安堵した瞬間「お帰りは、良いけど…遅くなるなら、遅くなるって言って来れないと心配するでしょ…」


「あ~~❗️❗️」素っ気ない返事だったけど、ばつが悪かったと思ったのでしょう。


少しづつそんな生活にも慣れて心配する事もなくなり言葉足らずながら「遅くなる」「泊まりだから」と言って来れる様になっていった。


日常のありふれた家庭での日々普通で当たり前の生活のはすだったのに

もう、息子の汚れた作業着を見る事も干してあげる事も出来ない。

ありふれた日常の会話さえ交わす事も出来ない。

母さんと別の世界で生きて居る息子がどうしているのか別の意味での心配が出来てしまった。


唯唯最近幸せそうに笑う笑顔が浮かぶ…その思いを信じ願うしか母さんには、出来ない。


○○大好きなんだよ。

○○を母さんは、何時も何時も心で抱き締めてる。

永遠に愛してる。

母さんの過ち 15ピース 就職させた駄目母

昨日の大雨に売って変わって秋晴れ快晴だった。



一周忌が過ぎたこの頃から息子の残酷な最後の姿、フラッシュバックが減って来たものの


それでも突然頭に浮かぶ姿…打ち消すのに「駄目駄目駄目」を繰り返し言葉に出して呪文の様に唱えると何とか打ち消せるようになって来ていた。



時と共に心が変化してるのを感じる。


それでも悲しみ悔しさ後悔自責の念…何故何故どうしてそれは変わらず心は、空っぽのままです。



それよりも寂しが深まり寂しくて寂しくて押し潰されそうになって息子の居ない寂しさに耐えられなくなっている。



静まり返った家…息子と2人の生活が今年から又始まるはずだった…それなのに


私は、家で独りぼっち孤独感に耐えられなくなって来ている。



毎日の生活の中で息子の残像を追いかけて見えない息子に話し掛ける事が多くなっている。


返事が帰って来る事はない。


唯心に聞こえる声がする。


母さんの独り芝居なのか…



息子は、公立高校を選んで来れ工業高校を自分で選んだ。


もう少し上を選べたのに行きたいからと決めて推薦で入学した。



市や国からの母子家庭への支援手続きは全てしてもらえる手当ては、全てもらっえるようにしたものの到底それだけでは、生活はきつい。



公立へ行って来れた事で助かったのと安心していた。



男臭いながらもボロ屋の家へも友達が遊びにも来てくれた。



高2になり三者面談があり「進路どうされますか」に息子より先に「大学は行かせる


余裕がないから就職させます。」馬鹿な母


息子は、何も言わないで聞いていただけだった。


話は就職と言う事で進めていった。



三者面談が終わって帰り息子が「大学行こうかと思ったのに…」とボソッと語る用に言ったけれど私の頭の中に大学へ行かせると言う選択が全く無かったのです。




「何で大学行きたいの…」「大学行けば遊べるから」と行った言葉を私は、「遊ぶ為に行くの…遊べないと想うけど」と流してしまった。



私は、この時息子の人生を私が勝手に判断をして決めてしまった事に気が付いていなかった。



息子は、何も言わず就職をしてくれた。



今になって思うと本当は、真面目に大学へ行きたかったのでは…


遣りたい事があったのでは…


友達と話して決めていたのでは…


本当は、息子の思いを叶えて大学へ行かせてあげたかった。



何も言わなかったのは、私への思い遣り優し過ぎる息子は我慢をして「行きたい」そう押しきらなかったのではないかと思うのです。



いいえ❗️私が息子の本心を言わせなかったのかもしれません。



親として母として大きな間違い過ちをおかしてしまったのではないでしょか。



息子の人生息子が決めるべき事なのに…


もっとちゃんと息子とも話をして先生共相談しながら息子が大学へ行ける道を模索してあげられたんじゃないか…後悔しても後悔しても取り返しがつかない。


結局就職したものの長続きしないで、派遣で色々仕事も変わっていました。


就職してから友達が来る事もありませんでした、


仲の良かった友達は、皆大学へ進学したからでしょうか…


友達が誰も来なくなった事でわたしは、不安を覚えました。



息子は、私の苦労や大変さを見て学生生活を送りました。


私も仕事を掛け持ちしたり夜勤の仕事に変えたりと少しでもお給料が良い所を探して転々と次の仕事を決めて止めてを繰り返していました。



そんな中で我慢をしなければいけないんだと言う事を息子に思い込ませてしまっていたのかも知れません。



わがままを言ったり悪態をついたりされた事も一切ありません。



あの時大学へ行かせられる用にしてあげられていれば息子の人生は自死と言う選択をしないで違う生きた人生があったのではないか…



息子の人生を私が死へと進ませたのでわないだろうか



この時の私の勝手な選択が息子を闇の世界へ引きずり込む切欠をつくってしまったのでわないかそう思ってしまうのです。



ごめんね。


もっと息子の気持ちを話を聞いてあげれは良かった。





息子に会って謝りたい。