天使の息子 1ピース 誕生

1984年6月13日四国で次男は、生まれた。


早産をしそうな為私は、元気にも関わらず入院


今は、産まれないようにと…


ベッドから動かないようにと言われトイレも管を通され寝たきり状態…




私は、元気なのに寝たきりでいなくてはならない為時間をもて余してる上に苦痛だったが

先生から3ケ月は、持たせましょうと言われとにかく24時間動かないようにと言われた事で、寝返りさえ打つのさえ怯えながら不安で心配な中白い壁とにらめっこして日々我慢々でした。




長男は、田舎から出て来て母が見て来れていました。

毎日会いに来てくれる元夫と母と息子…入院中は、それが唯一の楽しみでした。


それとどう言う訳かミスタードーナツが毎日々食べたくて夫に買って来てもらっては、3、4個ペロリと飽きもしないで食べてました。




寝たきりで居たにも関わらずに2ケ月しかもたず陣痛が始まってしまったのです。



しかし前置胎盤で陣痛の痛みの中帝王切開になりました。


そんな中なかなか聞こえない泣き声不安で一杯になりましたが、少しして「オギャアオギャア」と聞こえ小さいですが元気な男の子ですよと言われホッとしました。






1910g直ぐ保育器へ入れられて会う事が出来ませんでした。


会えたのは何日かしてからで、その間も胸が張る度に母乳を搾乳器で絞ったては、看護婦さんが取りに来て冷凍していたようです。




次男に初めて会ったのは、保育器の中両手の平に乗りそうな位小さくて身体が殆どおむつで隠れる程で身体中にチューブが、着いて痛々しい感じがしてかなしくなりました。




腕が大人の親指程それでも髪の毛だけはフサフサ…小さくて小さくてちゃんとお腹の中で育ててあげられなくて可哀想になってしまいました。




私は、抜糸をして2週間で退院出来ましたが、次男は、保育器生活が未だ未だ続きました。


その間毎日々搾乳器で母乳を絞り冷凍して毎日々病院へ2人で届けて次男に会いに行きました。


最初は、猿っぽいと思っていたのがだんだんと赤ちゃんらしく少しづつ大きくなって行くのが解りました。




そんな毎日が、2ケ月程続いてやっと2900gで夏だった事もあり退院の許可が出ました。




嬉しくて嬉しくてお腹に居る時から奮発して用意していた真白な可愛いドレスとベビーカゴを用意して迎えに行きました。




本当に純白のドレスに包まれた天使そのものです。

帽子を着けたら顔がすっぽり隠れる程です。




抱っこすると目を見開いてしっかり私を見てくれていました。

ベビーカゴに寝かせるとグーに握り閉めていた手で私の指を握り閉めてくれました。






可愛い愛おしいその言葉しか浮かびませんでした。



あの時の幸せな満足感と2人の男の子のママになって育てて行かなきゃいけない不安感とで一杯でした。




あの時の不安感でさえ今は、幸せだったからこそ感じる事が出来たのだと思います。




母さんのパズルは、やっと1ピースはめる事が出来たよ。




何時完成するのか…途中でピースはなくなっちゃうと思うけど…


それ迄心のパズル創り続けるから…貴方に会える迄




母さんの息子に産まれてきて来れてありがとうとっても幸せだったよ。

来世いも母さんの側で会いたい。