息子次男は何処に

なかなか動悸と現実を受け入れる事が出来ず死のが目の前で起きて居るかの用に直ぐには、寝付けなかった、

それでも何とか鬱の薬、睡眠導入剤のお陰で眠る事は出来たものの朝早く現実を叩きつけられるかのように目が覚め動悸が激しく苦しい。


今日1月31日は、大晦日世の中の人達は家族で話したり笑ったりで年越しそばを食べたり年越しの準備をしているのだろうか…


私は昨日来年は、次男と一緒にお雑煮を食べようと野菜やお肉を買って状況を確認して、場合によっては家へ連れて帰るつもりで「かえっておいで」と言うつもりでした。

その全てが砕け散って心がズタズタになり生地獄へ突き落とされた。


葬儀屋さんから連絡があり10時半頃待ち合わせ息子を迎えに行きました。

息子は、火葬迄しばらく葬儀屋さんで預かってもらう事にしました。

本当は、家へ連れて帰りたかったけれど私自身が毎日息子の柩を見て死の現実を突きつけられる事に耐えられる自信がなかったからです。


警察署の駐車場で、葬儀屋さんと会い息子は葬儀屋さんの車へ私は、2Fへ刑事さんから息子の遺品、ロックの掛かったタブレット、携帯他預金通帳、クレジットカード、保険証、財布、遺書を返してもらった。

やっぱり息子は居ない、居ないのか…心で繰返自問自答していた。


警察署を葬儀屋さんと出て葬儀屋へ車を走らせた。

運転しながらも何が起きているのか現実を理解出来ないままでいる。

葬儀屋へ着いてからは、葬儀の打合せ

まだ気持ちも心も何ひとつ整理出来ていないのにもう…そんな話も進めなきゃ行けないのか、心が締めつけられて張り裂けそうになる。


13時頃検案書を取りに病院へ行き

13時半~14時頃葬儀の内容や日程は、長男と待合せをして一緒に決めました。

とにかく静に2人だけで送ってあげることにして簡単にする事にしました。


火葬は、1~3日迄斎条が休みの為と私と長男の仕事の日程を考えて8日にしました。


次男の遺体に2人で会って帰る事にしました。


どうぞと言われて部屋へ通されたがそこに居たのは横たわる遺体袋に入っり白い刺繍の入った綺麗な布を掛けられた息子…本当に息子なのか…嫌違う…

 

全く実感のないまま息子の名前を何度も呼び続け手を合わせ「又明日会いに来るなかね」と伝え長男とも別れ家へ帰った。


家は、車で2、3分帰ってからは、ただ呆然と窓から外を眺めるだけでした。


5年程前から鬱を治すため癒し系ミュージックを購入して聞いていたので気をまぎらわしたくて音楽を掛けたのですが、癒し系ミュージックが悲しくて悲しくて心に突き刺さって切り裂かれるような痛みで耐えられません。


後で見ようと溜めておいたビデオは、結局見る気がせず音楽ばかり聞いて時間を呆然と過ごしたのか…全く覚えていません。

夜になりお風呂へ入ってベッドへ入りましたが、何故何故何故何故…その言葉が頭と心を締め付けて息子の自殺の情景が浮かんで苦しくなります。

何とか睡眠導入剤のおかげで眠る事はできましたが…

又明日目か覚めるのが恐怖でしかありません。