迷惑なお土産の幸せ

今日は、とっても良い天気でむしろ暑い…

息子達は、何時も何時も2人で一緒


外遊びが大好きで特に砂いじりが大好きで遊びに行ってはなかなか帰って来ませんでした。


帰りましょうの音楽がなっても「ただいま」の声はしません。

母さんは、何時も後10分もう10分と待ってみるもののなかなか帰って来ない為不安感で妄想が巡って結局車で探しに行くはめになってしまいます。


探しに出ると薄暗い中遠くから2人の歩く姿を何時も見付けては「帰りましょうの音楽なりだしたら帰っておいで」って言ったでしょ…


車に乗せて家へ帰ってからがとにかく大変


まずは玄関先で服の土払い

玄関へ入ってからは、

靴に入った砂払い…靴下を裏返しての中に入った砂がボロボロと出て来ます。


次は、ズボンの裾、ポケット全て裏返しするとジャリジャリ…


払ってから下着にして雑巾で手と足を拭いて家へ上げさせますが、廊下に悲しくも2人のしっかり歩きましたと判を押して歩いたように泥足跡が残って行きます。

それを見ては、あ~と「又……」ガッカリ

毎日がこの繰り返し


その後を追いかけるようにモップを掛けるのですが


毎回毎回で、もういい加減にしてと当時は思っては、イライラ

たまに叱った時もありましたが、


2人で遊んでると夢中になって帰りましょうの音楽も聞き逃す位楽しかったのでしょう。


今思えばとっても仲が良くってお兄ちゃんを大好きだった次男何時も次男を優しく守って来れていた長男でとても弟が好きだったのでしょう。

私には仲の良い2人が自慢でした。


モップ掛けしても廊下を歩くとジャリジャリと嫌な音…今は、一人なので汚す人は居ません。


とっても懐かしく幸せな幸せな時間だったのを今更ながら長男と次男の申し訳なさそうな笑顔が浮かんで私の心を包んでくれてます。


次男のあの時のはにかんだ笑顔を思い出す事が少しずつ少しずつ増えて…母さんに何か伝えたいのでしょうか。


優しい記憶有り難う。

息子の記憶の温もり

昨日仕事終わり買い物へ寄った時たまたま目について息子果物が好きだったなっておもったらオレンジを手にしでした。

家へかえって供えてやりました。


明日切って2人で食べょうね…不思議と息子の写真が微笑んでるように見えました。


36年前息子は未熟児で生まれ2ケ月程保育器の生活で私の方が2週間で先に退院をしました。


退院してからは、毎日母乳を何度か絞って冷凍して週1回元夫が病院へ届けていました。


時々会いに行っては保育器の中へてをいれると小さな小さな手でしっかり親指を握りしめてくれました…本当に大人の親指よりも小さな手で柔らかくて暖かい手でした。


待ちに待った退院の日には、 真白のベビードレスと帽子…奮発しました。

2100gと小さな体にまるで天使その者です。


夜中何度も起こされ2人でつつき会いながらどちらかが起きておむつ交換にミルク…寝不足そのものです。


夫は、寝不足状態で会社出勤私は2人の息子と一緒に昼眠です。


夫は定時に帰って来る時は必ず次男を入浴させてくれました。

手が大きいので首を支えるのが楽々で…上手にガーゼで洗ってくれてました。

今でもはっきりと目に浮かびます。


お宮参りには、未だ首が座らず着物を着せて支えて写真を取りました。

女の子のように可愛い写真が出来上がりました。


私の免許証の中に今でも大切に入っています。

もうボロボロですが…


少しずつ息子も身体を動かそうとしているのでこたつの上に座布団を置いてうつぶせにすると、身体を一生懸命浮かそうとして私の方をくりくりなまん丸な瞳で見ているのがとても愛おしくてたまりませんでした。


不思議なのですがその時茶色のつなぎと黄色のシャツに素足だったのを覚えています。


私は、子供の頃親の愛情薄く育った為子供の愛し方が全く解らない中での子育てでどうして良いのか解らず本に頼ってばかりで、育児ノイローゼになりそうで時々ヒステリックになり掛けてしまいました。


そんな中息子達にお母さん勉強をさせてもらいながらお母さんに育ててもらいました。


朝、日中2回のコースを変えての散歩肌かでの窓越しの日光浴…夏は、汗疹防止に入浴と別に外で毎日2回の沐浴


息子が亡くなってからやたらと記憶が甦って愛おしさが増して来ます。


自分を責めてばかりいる私に駄目出ししてるのでしょうか…


今日食べたオレンジは当たりです。


とても美味しかったね。

時が刻む息子への愛おしさ

息子が亡くなってから半年…嫌で嫌で仕方ないのに時間は進んでいく。

時間が出来る用になって後から思うと少しづつ気にかかる事が出て来ている…


夏服がほとんどなかった事

浴室にあるべきシャンプー、ボディ石鹸がなかった事

洋楽を毎日聞いていたのにCDが1枚もなかった事

食事の後らしき形跡がなかった事

私の手書きカードや父親からの手紙がなかった事


考えれば考える程心が締め付けられる。

想像でしかないものの苦しみ悩みながら死を覚悟して身辺を整理していたのでわ


食事をする気力も眠る気力もお風呂へはいる気力も考える気力もなくしていたのでわ


息子は、何れだけ泣いていたことか余りにも痛々しくて切なくて切なくて可愛そうで…抱き締めてあげたかった。

寄り添って何としても守りたかった。

時は、嫌がおでも進んでしまう…時を戻せるすべはないのか


仕事から帰って「只今」「……」返事は、ない。

それでも「お帰りぐらい言ってよ」

今日は忙しかった母さんぐったりだよ。

一人で語り続けている。


写真と骨壺へ名前を呼んで今日はなにしてた。

パズル何か新しいの始めた…本呼んでたのかな…返事は、全く帰って来る事はない…そんな事解っている。


それでも何時か突然「只今」って帰って来ると母さんは思い続けている。


息子の携帯もロックが解れば帰って来る。

それが私の救いになるか、苦しみが深まるか解らない。

それでも息子の心をほんの痛みを少しでも理解してあげられたなら救ってあげられるならちゃんと現実を受け止めたい。