息子の生きた空気

2021年新年が明けた。

心臓が張り裂けるように朝早く現実が襲いかかって来て目が覚めた。

動悸で胸が痛い空気が重たい呼吸がしずらい。

体がだるい心が夢の中を呆然とさ迷っているようです。

世間では、おせちお雑煮を食べおめでうの声があちこちで聞こえているでしょう。


何とか無意識の中家の用事を済ませて、こたつに入ったものの癒し系ミュージックが悲しく寂しく聞こえてをただただボーッと窓から空を見つめているだけだった。


10時頃葬儀屋に居る息子へ会いに行った。

手を合わせて見つめてもまだ私には息子だと思えないままでいた。

死後から日にちが経過してた為息子の顔を見る事が出来ない。

ただドライアイスに包まれた袋に入った状態、顔の辺りを息子の名前を呼び触れてもシャリシャリと音がするだけだった。

本当に息子…確認するかのように何度も何度も息子の名前を呼んだ声は、帰って来ない。

それでも私は、まだ息子が居なくなった事に納得する事等到底出来ていない。


フッと息子の遺書「後始末お手間掛けます」が頭を過った。

息子が最後に気掛かりにしていた後始末今から行ってちゃんとしてくるからと伝えて、葬儀屋を後にして、息子のアパートへ車を走らせた。

アパートへ近くなるにつれて動悸が酷くなる。

駐車場へ車を入れて階段を上がるのにつれて空気が重くのし掛り押し潰されそうになる。


アパートのドアを開けると当時は、気にならなかった死臭がしている。

息子の2ヶ月間誰にも気づいてもらえる事なく待ち続けて居たのかと思うと切なくて切なくて可哀想で胸が苦しい。

涙が詰まる…泣くことすら忘れているかの用に泣くことすら出来ないで居る。


部屋は、生活をして日々過ごしていた様子が伝わって、感じられここで息子は、生きて時間を過ごしていたはずなのに…何故居ないのか、本当に居ないの


長男にも昼過ぎ迄アパートで後片付けしてるから来られるなら来てとラインをして窓を全開にして換気扇を廻しゴミの分別から始めた。


とにかく息も付かない程に必死で片付けて行った。

全て処分するつもりでまとめていたらしばらくして長男が来て2人で片付けだしたら長男がリサイクルショップへ持ち込みしたら売れるよと言ったのでショップへ持って行けるものは持ち込みをして売れたお金は長男に立て替えてもらう葬儀代に当ててもらうことにした。

本やゲームは、ブックオフへ家電は、明日家へ来てもらうよう引取を依頼した。


リサイクルショップへ持ち込み出来るものは何度も車で往復し持ち込みをしほとんど処分出来した。

まだ少し残っていたものの明日の電気製品の引取が終わった後に残ったものを最後に持ち込みする事にした。


息子の柩へ入れてあげたい品物と家で使えそうな物と息子が一生懸命100ピース程のパズルを合わせて出来た絵の額に入った物は、遺品として持帰り家へ飾り息子の部屋を作ることにした。


パズルは私と一緒に居た時以後パズルを作った形跡がなかった。

私と居た時の用に息子の自由な時間をつくる事が出来なかったのではないかと思う。

仕事や家事に追われ自分の時間が作れなかったのだろう切なくて胸が痛い…ごめん本当にごめんね。

パズル1枚だけは、長男が持帰り後4枚は、家へ


昼過ぎの予定が夢中で片付けていた為夜になってし

まった最後にブックオフへ寄り本とゲームを処分して家へ帰ることにした。


家へ向かう途中長男のおごりでうどん屋へ行ったが、食欲がなく頼んだうどんは半分もとミニ丼は一口殆ど食べられなかった。


まず家へ行き柩へ入れてあげる予定の物と生活品パズルを置いてブックオフへ本とゲームを処分してから長男をアパートへ送って家へ帰った。


さすがに疲れたおかげで動悸や不安感はあるものの直ぐ横になってこたつで眠ってしまった。

夜もお風呂へ入ってベッドへ入ったものの息子の首吊りの光景がフィールドバックして闇の中へ落とされる。

それでも睡眠導入剤のおかげで直ぐ眠ることが出来たが。

明日朝目か覚めるとき地獄へ落とされる用に恐怖で目が覚めるのか…明日が朝が怖い。

やっと3日が過ぎて行くけど

息子次男は何処に

なかなか動悸と現実を受け入れる事が出来ず死のが目の前で起きて居るかの用に直ぐには、寝付けなかった、

それでも何とか鬱の薬、睡眠導入剤のお陰で眠る事は出来たものの朝早く現実を叩きつけられるかのように目が覚め動悸が激しく苦しい。


今日1月31日は、大晦日世の中の人達は家族で話したり笑ったりで年越しそばを食べたり年越しの準備をしているのだろうか…


私は昨日来年は、次男と一緒にお雑煮を食べようと野菜やお肉を買って状況を確認して、場合によっては家へ連れて帰るつもりで「かえっておいで」と言うつもりでした。

その全てが砕け散って心がズタズタになり生地獄へ突き落とされた。


葬儀屋さんから連絡があり10時半頃待ち合わせ息子を迎えに行きました。

息子は、火葬迄しばらく葬儀屋さんで預かってもらう事にしました。

本当は、家へ連れて帰りたかったけれど私自身が毎日息子の柩を見て死の現実を突きつけられる事に耐えられる自信がなかったからです。


警察署の駐車場で、葬儀屋さんと会い息子は葬儀屋さんの車へ私は、2Fへ刑事さんから息子の遺品、ロックの掛かったタブレット、携帯他預金通帳、クレジットカード、保険証、財布、遺書を返してもらった。

やっぱり息子は居ない、居ないのか…心で繰返自問自答していた。


警察署を葬儀屋さんと出て葬儀屋へ車を走らせた。

運転しながらも何が起きているのか現実を理解出来ないままでいる。

葬儀屋へ着いてからは、葬儀の打合せ

まだ気持ちも心も何ひとつ整理出来ていないのにもう…そんな話も進めなきゃ行けないのか、心が締めつけられて張り裂けそうになる。


13時頃検案書を取りに病院へ行き

13時半~14時頃葬儀の内容や日程は、長男と待合せをして一緒に決めました。

とにかく静に2人だけで送ってあげることにして簡単にする事にしました。


火葬は、1~3日迄斎条が休みの為と私と長男の仕事の日程を考えて8日にしました。


次男の遺体に2人で会って帰る事にしました。


どうぞと言われて部屋へ通されたがそこに居たのは横たわる遺体袋に入っり白い刺繍の入った綺麗な布を掛けられた息子…本当に息子なのか…嫌違う…

 

全く実感のないまま息子の名前を何度も呼び続け手を合わせ「又明日会いに来るなかね」と伝え長男とも別れ家へ帰った。


家は、車で2、3分帰ってからは、ただ呆然と窓から外を眺めるだけでした。


5年程前から鬱を治すため癒し系ミュージックを購入して聞いていたので気をまぎらわしたくて音楽を掛けたのですが、癒し系ミュージックが悲しくて悲しくて心に突き刺さって切り裂かれるような痛みで耐えられません。


後で見ようと溜めておいたビデオは、結局見る気がせず音楽ばかり聞いて時間を呆然と過ごしたのか…全く覚えていません。

夜になりお風呂へ入ってベッドへ入りましたが、何故何故何故何故…その言葉が頭と心を締め付けて息子の自殺の情景が浮かんで苦しくなります。

何とか睡眠導入剤のおかげで眠る事はできましたが…

又明日目か覚めるのが恐怖でしかありません。

語らない息子

刑事さんは、16時頃家へ訪ねて来た。

刑事さんからの残酷な話し2020年5月頃には、自殺を覚悟していたらしく近くのホームセンターで用具を買っていた事、全ての通帳残高が100円200円程だった事、母親としての余りの悔しさと情けなさ…6月8月にメッセージしている時にはもう死を決めていた

母さんに何故一言も無かったのか

どんな気持ちでメッセージ読んでいたのか

どんな事しても守りたかった。

どんなに悩んで苦しんで不安で不安で毎日時間を過ごして居たのか可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうで…ただただごめんねごめんね。

刑事さんは、息子の性格を聞いた上で、遺書の筆跡を確認したいのでしょう何か書いたものありませんかと言われましたが全て息子が持っていってるので、アパートには何かありませんでしたかと訪ねましたが何もなかったそうです。

家にあるとしたら思い出のアルバム等…ロフトに何か箱にあるかもとロフトへ一緒に上がって探して見つけたのは、小学校の卒業文集それを見つける間出てきたのは沢山の子供の頃の笑ったりおどけたりしている息子の写真胸が痛く引き裂かれそうでした。

息子は、確かに生きていて家族との時間を過ごしてた。

刑事さんの前で涙をこらえるのに必死でした。

息子の文集をもって返りましたが、帰り際に明日には息子さん返してあげられると思うのでと言われした。

葬儀屋さんとは打ち合わせして息子は、葬儀屋さんへ火葬迄預かってもらう事にしました。

本当は、側に置きたかったのですが毎日息子の亡骸を目にして側で耐えられる自信がなかったのです。

食欲はなくその後の眠る迄の数時間何を考えていたか唯々呆然と時間を過ごしたような…覚えていません。

明日は、息子を迎えに行きます。

それでも全く現実を受け止められてはいません。

ただ言われた事をこなすだけで精一杯で心も頭も一杯一杯

地獄の悪夢の中をさ迷っているような長い長い1日が過ぎようとしています。

明日は警察署へ葬儀屋さんと待ち合わせをして息子を迎えに行きます。

まだまだ苦痛な時間は、続くのでしょうか